半導体製造装置の東京エレクトロン(TEL)は2006年米国にCVC「TEL Venture Capital(以下、TEL Venture)」を設立した。日本企業としては老舗のCVCにあたるが、設立直後には大きな壁に直面し、立ち上げ数年間は成果となる新規事業の創出に至った案件はゼロ。そんなCVCの立て直しに抜擢されたのが、同社で30年以上半導体事業に携わってきた圓城寺 啓一氏だった。
圓城寺氏は代表就任後、組織編成から投資方法まで、全てを抜本的に改革し今のTEL Ventureを作り上げてきた。過去の失敗から何を学び、どのように今のTEL Ventureを作り上げてきたのか。独自に確立した「マイルストーン投資」とはどのような仕組みなのか。圓城寺氏に聞いた。
5年で協業実績ゼロ。設立当初の失敗談
どのような経緯でCVCの設立に至りましたか。
2006年にCVCを設立した当時の目的は中期的な成長戦略の1つとして新規事業の創出と育成につなげるためでした。東京エレクトロンは、半導体やフラットパネルディスプレイ(FPD)製造装置のメーカーです。新しい領域での事業の種を探すためのアンテナを張るためにスタートアップ投資を始めたのです。
当初の投資対象は、東京エレクトロンのコア事業から離れた領域。当時流行していたクリーンテック、つまりソーラーやバイオといった領域に投資していました。
会社から直接投資をするとなると、どうしても手続きが複雑になり時間と手間がかかります。それを簡素化し、スピーディに投資するためにCVCを設立したのです。
設立当初はどんなパフォーマンスだったのでしょうか。
設立当時、私はまだジョインしていなかったのですが、「まずは5年やってみよう」という話だったようです。
結果、最初の5年は見事に失敗してしまいました。出資先と協業で成功に至ったケースはゼロでした。当時は東京エレクトロン本体でもソーラー事業を手掛けていましたが、それ自体が失敗してしまい、協業による相乗効果は生み出せず、買収した会社も売却することになりました。同様に関連スタートアップ企業への出資、協業も上手くいきませんでした。
そのような状態で立て直しのためにCVCに呼ばれた後、どのような点を変えていったのでしょうか。
まずは投資領域を大きく変え、コア事業、つまり半導体やFPD領域への投資に変更しました。
それ以上に大きく変えたのが投資前の段階からきちんと協業に向けた計画を立てられるよう、体制を整えたことです。最初の5年間にスタートアップ投資がうまくいかなかった最大の理由は投資目的の不明確さと、その見通しが甘かったことにあると考えました。
事業シナジーに繋げるためにどのような会社に投資すればいいのか、投資後の協業シナリオ、投資で得られるものは何か。そういう点について計画が曖昧なまま投資をしてしまっていたのです。その結果、主力事業である半導体領域で投資したスタートアップについても、協業に繋げることはできませんでした。
CVCはどのようなメンバーで構成しているのでしょうか。
新規探索については社内の米国、欧州、アジア各地域それぞれを担当しているメンバーが行います。加えて、手薄な地域はコンサルタントも活用しています。私達はシリコンバレーに拠点を構えていますが、マンパワーの問題もあり、東海岸をはじめアメリカ全土は見ることはできません。
そのため、そうした他の地域を補完するために外部のコンサルタントを活用しています。新規探索にはどうしてもスタートアップや投資家のネットワークが必要で、技術の目利きができるだけでは困難です。
例えば、東海岸で探索をお願いしているコンサルタントは、もともとMIT(マサチューセッツ工科大学)のインキュベーションオフィサーだった人です。もともとは大学発ベンチャーをサポートする立場だったので、技術にも明るく、地域のネットワークも持っています。技術の目利きにおいては、社内のTechnical Staffグループが世界中の革新的技術の評価やシナジーについての一判断を行っています。
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