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2020/10/08

ゲームでみんなの居場所をつくる。日米での経験から見えた世界への勝ち筋

  • #海外
  • #ゲーム
  • #起業ストーリー

2020年9月、会社設立・100億円の調達発表と同時にユニコーン入りを果たしたスタートアップ企業がいる。インスタントプレイゲーム開発のPlaycoだ(速報記事はこちら)。

INITIALは日米から集結したPlaycoの共同創業者4名に独占インタビューを敢行。第二弾として共同創業者、大塚剛司氏のインタビューをお届けする。

大塚氏は、2005 年に東京大学を卒業後、事業家を目指しDeNAに新卒入社。同社初となるソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」の生みの親として知られ、当時勃興したソーシャルゲーム業界の中心人物だ。

Playcoでは主にゲームプロデューサーの役割を担う。なぜ、日本人である彼がPlaycoにジョインしたのか。彼の目指す「ゲームでつながる世界」とは。

「プロデューサーとして日米の橋渡しをしたい」と語る彼から、Playcoの目指す姿までを追う。

CONTENTS

日本のゲームクリエイターは世界に通用する。プロデューサーとして目指す強い組織

Playcoの共同創業者として、大塚さんはどのような役割を担っていますか。

私のPlaycoでの役割は主に3つあります。

1つ目は、チームをリードしながらゲームをつくっていく、ゲームプロデューサーとしての役割です。これが最も重要な役目です。

2つ目は、自分が日本語を話せる強みを生かして、LINEとの協業や、日本のゲーム開発会社と協力してゲームをつくっていくこと。

そして3つ目は、私自身が実現したいことですが、日本のチームをどんどん強化して大きくしていきたいです。将来の仲間を採用し、強い組織をつくることも自分の役割の1つです。

米国でご経験を積まれた大塚さんから見て、日本のゲームクリエイターはどのように映りますか。

私は日本のインターネット業界、ゲーム業界に約6年携わり、米国には約10年いました。

日本と米国のエンジニアやプロデューサー、アーティストなどさまざまな人と関わって きて感じた印象は、日本のゲーム開発者は世界的に見てもレベルの高いものを作れますし、ビジネスマンとしても優秀な人が多いこと。

もったいないのは、やはり言語(英語)の壁と、海外市場になかなか目が向かない点です。日本国内のゲーム市場が大きいので、無意識に自分たちに制約をつけてるのかもしれません。

その固定観念を取り払えば、世界レベルで活躍できる人が増えると確信を持っています。日米両方の経験から、日本と世界との橋渡しをするのが夢でした。

Playcoは国際的なメンバーが揃っており、常日頃からグローバルな視点で物事を考えているので、まさに理想的な環境でした。

怪盗ロワイヤル開発後、DeNA南場氏に打診し米国へ

いま日米でのご経験のお話が出ましたが、これまでの大塚さんのご経歴を教えてください。

私がDeNAでソーシャルゲーム事業を立ち上げたのは2009年の春でした。そこでソーシャルゲーム・怪盗ロワイヤルを作り、2010年3月末までファーストパーティチームのリーダーとして活動していました。

それからDeNAがモバゲーのプラットフォームをオープン化に伴い、他社の開発者さんにゲームをつくっていただいて、モバゲー上で展開する事業を率いていました。

そうこうしている間に、DeNAがサンフランシスコの会社ngmoco(エヌジーモコ)を2010年の後半に買収しました。私は以前から海外に行きたいと思っていたので、当時の社長の南場に相談したところ、じゃあやってみるかと出向が決まりました。

当時私の英語がつたないことを心配した南場が、毎週英語ランチをしてくれていました。おかげで英語力は向上しましたが、ビジネスのシリアスな話題への南場からの厳しい質問になると、私の英語では到底太刀打ちできず、その時はランチの味がしなかったです(笑)

DeNAは当時から海外にチャレンジする文化があったんですね。

そうですね。まだ規模が小さなうちから中国や韓国、米国に積極的にチャレンジしていた会社でした。

プラットフォームを率いてまだ半年のタイミングでしたが、買収のような大きなきっかけは今しかないと考え決断をしました。

日本と米国を行き来しながらの生活を続け、2011年3月頃にビザが取れて、米国に移住しました。当時は、米国側でも日本と同じようにモバゲーをプラットフォーム化する計画があったので、基本的に全てのプロジェクトに関わっていましたね。

DeNA West(買収後の会社名)では、4年ほど活動をしていました。具体的にはソーシャルメディアとしてのモバゲーを作る部分や組織づくりを担当していて、2015年の夏くらいまでDeNAにいました。

その間も親しくしていた、エヌジーモコの創業メンバーが立ち上げたゲーム会社N3TWORK(ネットワーク)で働いていました。

クレイジーな時代の再来を予感。Playco設立の経緯

そこからPlaycoのメンバーとは、どのように知り合ったのでしょうか。

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