農業にも押し寄せるイノベーションの波は、農業ドローンや植物工場といったAgriTech(アグリテック)として徐々に現れつつある。
高齢化や人手不足といった課題の解決策として期待されるアグリテックだが、「実際に使われるには、各農家によって課題は大きく異なり、求めるものが違うことを意識すべきだ」と語るのは、衛星データを利用した農家向けビジネスを展開するSAgriの坪井氏。
彼が考える、農業をテクノロジーで変えるために必要な「ステップ」とは何か。同社の事業展開の戦略を中心に話を伺った。
衛星×農業はフロンティア
「衛星」と「農業」は、ユニークな組み合わせですね。
坪井さん(以下、坪井) 個人的には、衛星データを農業に利用したビジネスは誰かがやるだろうと思っていました。
たとえば、経済産業省の宇宙産業室が昨年からTellus(テルス)というプロジェクトを始めたように、世界中で衛星データが無償公開され、そのデータを活用すれば世界中の農地情報を取得できる環境になっているからです。
坪井 俊輔(つぼい しゅんすけ)/ 2014年横浜国立大学理工学部入学。2016年6月に株式会社うちゅうを創業後、2018年6月にSAgri株式会社を創業。同社代表取締役社長に就任。
しかし、私が2018年にSAgriを立ち上げる前、その可能性に目をつけたスタートアップはほとんど生まれていませんでした。
なぜ他のスタートアップは出てこなかったのでしょうか。
坪井 オープン化された衛星データを有効活用するには、農業のどの部分と組み合わせるべきか具体的にイメージする必要がありますが、それができる人材は非常に少ないためです。
衛星は工学、農地情報については農学についての知見が求められ、異分野を融合させる難しさがあります。
Tellus(テルス)の操作画面
私の場合は大学で衛星について学んでいて、かつ農業への関心も強くあったので、自分なら衛星データを駆使して、世界中の農家を助けるビジネスができるのではないかと考えました。
サービスをグローバルで提供することを考えると、国境を超えて観測できる「衛星データ」と、スマートフォン上で提供可能な「アプリ」の組み合わせが最適だと考え、SAgriの事業を展開しています。
SAgriではどのように衛星データを利用しているのですか?
SAgriは、3つの事業を通して衛星データを活用しています。
(画像:SAgri会社説明資料より)
1つ目は農家の日々の業務を管理・最適化するアプリ事業です。
私たちのコアテクノロジーは、全農業に共通する「土壌」の栄養状態や水分量を科学的に測定する技術です。 この技術を基軸に、農地情報をデータ化すると共に、気象情報や農薬肥料の適切な使用量を、各農家に最適な形で提案します。
農地を区画ごとに分けて認識し、その区画に情報を付加して管理できるシステムになっている。(画像:SAgri会社説明資料より)
実は土の状態を現地で測定する「土壌診断」という手法は既に確立されています。しかし、1回3,000円〜15,000円前後のコストがかかるため、世界中の農地で診断を行うことは非常に難しいです。
そこで私たちは衛星データを利用することで農地情報をデータベース化し、世界中の農地の指標を可視化する事業を行なっています。
そもそも農地がどういった作物を育てられるのかという潜在的な情報に加え、肥料をどれぐらいまけば作物がどう育つのか、といった指標も把握することができます。
(画像:SAgri会社説明資料より)
2つ目は「スマーノ」という新技術を活用するスマート農業の情報を配信するメディア事業です。
農業技術は日々進歩を遂げていて、コンバインなどの従来の農業機械だけでなく、ドローンや、IoTといった多様なツールが誕生しています。
その最新のツールをどう使えばいいか分からない農家に、新技術のノウハウや使い方を広めることがスマーノの役割です。
(画像:SAgri会社説明資料より)
3つ目は「SAgri Bengaluru Private Limited」という、インドに設置したマイクロファイナンス事業です。 インドに駐在するメンバーが、農村地域向けのマイクロファイナンスを行なっています。
インドでは借り入れを必要とする農家が数多くいるものの、高い利子率でなければお金を借りることができません。そこで私たちはお金を貸したいインドの金融機関と、お金を借りたい農家をマッチングさせるアプリをスマートフォンで展開しています。
農家の「3層構造」
3つのサービスは、それぞれターゲット層や地域が大きく異なりますね。
坪井 技術やツールの習熟度に応じて、農家は大きく3層に分けられると思っています。 一番多いのが、農業のノウハウが蓄積されておらず、手探りで農業を行なっている層。
次に多いのが、ある程度ノウハウがあり、スマート農業やIoTといった新技術の活用を検討している層。
一番少ないのは、ドローンやIoTといった新技術を既に使いこなしている層ですね。
(画像:ami作成)
手探りで農業を行う層は、新技術の導入よりも前のステップを踏む必要があり、まずは肥料や農薬を買うお金をどう調達すべきか、というファイナンスの課題を解決しなければなりません。
一方、農業のノウハウは一定ある層では、新技術に興味があるものの、どうツールを使えばいいか分からなかったり、リテラシー不足により導入が進まないという課題があります。
1つの層にフォーカスしないのはなぜでしょうか。
私たちが異なる層の農家にアプローチするのは、日本の農家にフォーカスするだけでは、スタートアップとして急成長することが難しいからです。
そこには「日本の農業は国の支援で成り立っている」という事実が背景にあります。
たとえば農林水産省は「スマート農業実証化プロジェクト」として年間60億円の予算を確保して、農家が農業の 新技術の導入する時に、国の税金でサポートを受けられるようになっています。
SAgriはその構図に逆らわず、日本では国内の農家が新技術を使うサポートを行い、インドにおけるマイクロファイナンス事業で、スタートアップとしての成長を図る戦略をとっています。
日本の農業は技術を駆使しているか
農家の課題は国内と海外で大きく異なるようですが、日本での課題を教えてください。
坪井 日本には令和元年度概算で165万人の農家がいると言われていますが、その内、約150万人が60歳以上の方々です。
アベノミクスにより新規参入農家の数も増えてはいるものの、それを上回るペースで高齢者の方々は農業をやめています。そうして農地が誰にも引き継がれず、次の担い手が見つからないのが日本農業最大の問題です。
一方で新規参入農家も、まずは農地を手に入れるところからスタートし、農地の状態やノウハウがストックされていないため、色々な人から感覚的に農業の進め方を学んでいくしかないという課題があります。
また、設備投資については、多額の費用が必要な設備投資をどのタイミングで買うべきか判断基準がない部分に課題があります。
技術が課題を解決するという見方もありますが、そう簡単に普及しない理由はどこにありますか。
坪井 農業用のIoTやドローンといった様々なプロダクトが出ていますが、農家としては何が自分たちの農業に適しているのか、分からないんですね。
(画像:Olga Tucha / Shutterstock)
農家は多くの場合行政によるセミナーや説明会で技術情報を知ります。しかしそういった場所では「どう使えば効果的なのか」という目線が欠けているため、説明を受けた後のアクションに繋がっていかない。
これまでの実績やノウハウが共有されている分、トラクターなどの業務用機器は普及しやすいですが、新技術は使い手の使い方に対するリテラシーが必要になる分、旧来の技術と同じ説明では普及しないことを忘れてはいけません。
技術が普及せず、農業のやり方も変わらなければ何が起きるのでしょうか。
坪井 1つは海外からの農作物の輸入依存度が強まるでしょうし、もう1つは、植物工場や人工培養肉といった、細胞レベルから農作物を培養する技術に頼ることが想定されます。
その流れの是非はさておき、そういった変化が世間に浸透するまでには非常に時間がかかると思うのです。
その状態を踏まえると、まずは国内にいる若い50代以下の農家、15万人に寄り添い、技術の普及に貢献することが重要だと考えています。
60歳以上の大多数の農家の方が新しい技術を活用できるかと言うと、スマートフォンと一緒で、いきなり使いこなすのは難しい部分がありますよね。
若い農家の皆さんは、スマート農業に興味関心があるものの、どう使えばいいか分からないという状態です。そこでSAgriを活用してもらいながら、実証を一緒に始めています。
インドで事業をする理由
日本では実証を行いつつ、インドでもう1つの事業を展開していますね。
坪井 もともと私が農業でビジネスをしようと考えたのは、途上国での経験がきっかけなんです。途上国のルワンダでの教育を体験したのですが、そこでは教育だけでは助けられない課題があることを痛感しました。
現地の小学生に対して、「夢をもって進んでいこう」と教育していたのですが、そもそも彼らは中学校、高校に進学できません。ではどういう進路になるかというと、親がやっている農業を引き継ぐことがほとんどです。
私が宇宙やドローンといったテクノロジーの夢を語っても、彼らはその夢が叶わないことも最初から自覚しているのです。
私が教育というプロセスを実施しても、それだけでは解決できない事情があることを痛感し、その時から彼らの進路となる「農業」の課題を解決すれば、ほかの選択肢を選べるのではと考え始めました。
そうした経験を経てSAgriは現在、インドにおいてマイクロファイナンス事業を展開しています。
(画像:lovelyday12 / Shutterstock.com)
まず前提として説明する必要があるのは、日本の農業とインドの農業では考え方に違いがあるということです。
インドの農業の根本にあるのは、「何もないところから生まれる作物は、神様の産物だ。それでお金が儲かるならそれでよい」という考え方。
日本の農家であれば、日々の記録をノートやアプリで管理していますが、インドではほとんど管理されていません。結果として、同面積あたりの収量は、日本を1とすると、インドは0.2~0.3程度。圧倒的に非効率です。
こうした背景もあり、インドの農家に単純に農業管理のアプリを配っても、使ってもらえません。ツールに投資して、農業を改善する文化が無いからです。
そこで、まずは肥料や農薬を購入できる環境を整備することが、インドにおける事業での出発点と考え「マイクロファイナンス事業」から行っています。我々が提供するマイクロファイナンスは農家がアプリを利用し、金融機関とマッチングをする仕組みになっています。
(画像:ami作成)
そのマッチングが成立した後、農家がいくら借りて、どの肥料・農薬を買ったのか、どういった作業をし、どれだけ収穫したのかといった一連のサイクルまでアプリ上で把握できます。
インドのような発展途上国で農地のデータ化ビジネスを行っている企業はまだ少ないので、きちんと事業を成長させれば世界で利用されるプラットフォームになれる可能性があります。
グローバルで見ると農家の平均年齢は日本よりも圧倒的に若いので、スマートフォンも普及しています。利用のハードルはむしろ低いと思いますし、インターネットと衛星データを通じて世界の農家に寄り添っていきたいと思っています。
インドでの事業の難しさはどこにありますか。
坪井 子会社を立ち上げるためにインドに3カ月滞在していましたが、実際にインドに住んで現場を見たからこそ分かった現実がありました。
インドでは農家を支援するパートナーは増えているものの、結局は現地の金融機関を説得してお金を貸してもらうことが一番難しいんです。
実はインドは1980年代、政策としてマイクロファイナンスを推していたんですけど、その当時は返済率が50%程度という結果に終わってしまったのですね。
その後グラミン銀行というモデルケースがバングラデシュで生まれ、その知見が広がった結果、返済率が上昇して事業として展開できるようになりました。成功例は広まりつつあるものの、やはり現地の金融機関がマイクロファイナンスを実施してくれるかが難しい部分だと思っています。
一方貸し出す側も融資のリターンを得られるような、慎重な設計が求められます。
(画像:CRS PHOTO / Shutterstock.com)
外資から借りたお金をインド人は「貰い物」だと思ってしまうため、農業用途だけに利用されるように、借りたお金の用途を限定して対応しています。
アグリテックの普及に必要な2つの視点
アグリテックが多くの農家に普及するくために、必要なことは何でしょうか?
坪井 2つの視点が必要だと思います。
1つ目は、どのように持続的にお金を稼ぎ、ファイナンスを行うかという視点。
私の場合、起業1社目の「うちゅう」は教育のスモールビジネスでしたが、お金の稼ぎ方や資金の流れを学ぶ事ができました。
エクイティを用いた調達も一つのやり方だと思いますが、自分でお金を稼いだことがないと、資金の有効な使い方も分からないはずです。もしSAgriが初めての事業だったら、お金だけ投下して失敗していたと思うんですね。
農業はインターネットほどの成長曲線を見せませんから、投資家から資金調達をするためには、どうお金を稼いでいるのか、具体的な成果を見せる必要があると思います。
2つ目は、技術をどうスムーズに導入してもらうかという視点。
今は「6次産業化」「スマート農業」というキーワードが盛り上がっているように、農業が変わる節目にあると思います。
その流れを理解した上で、次世代の農家や、これから農家になろうと考える人たちに、テクノロジーを届ける役割を誰かが担う必要がある。
「実際に使用してもらう」ところまでを一気通貫でやれるプレイヤーは非常に少ないので、SAgriとしてもその環境を整備したいですね。
農業の分野では、スタートアップが超えるべきハードルも多いですね。
坪井 アグリテックの分野には大企業も参入していて、スタートアップとして戦いにくさはあると思います。 さらにはこの分野のスタートアップの多くが赤字状態で、実績がまだ出せていないという点で資金調達にも難しさがある。たとえ資金調達ができたとしても、投資家からお金をいただいた以上は、事業をスケールさせるという責務もあります。
このように日本の農業市場だけを見ると、スケールさせることは難しいように思えますが、視点を変えれば世界の人口75億人の内、25億人が農家です。
世界の3分の1に対してアプローチできたら、それは「革命」ですよね。
農業人口は世界で見れば莫大な数ですから、そのマーケットに対して目を向ける起業家がもっと出てきて、農業とテクノロジーをかけ合わせたビジネスを展開する事例が増えて欲しいと思います。
農業のユニークな点は、人間は食べなければ生きていないという点で、誰もに関係がある産業だということ。それは誰かが責任感を持って挑むべき産業だと思うのです。
日本のアグリテックスタートアップの存在感を高め、魅力的な投資対象として認知されるようなサイクルをつくっていきたいですね。
聞き手:松岡遥歌、文:三浦英之