スタートアップの成長戦略の一つ、事業提携。
その目的は資金や技術、人材等の資源を提供し合い、競争力を高め新たな市場を創ることにある。
日本におけるスタートアップとの事業提携数は伸びつづけており、2018年時点で1,500件に迫る。
(出所:entrepedia ”Japan Startup Finance 2018” )
積極的に情報開示が行われただけでなく、SaaSスタートアップが増加し、API連携が求められるプロダクトが増えたことも背景にあるだろう。
今回はLegalTech企業として事業連携を行なった、Hubble(ハブル)代表の早川氏とクラウドサイン事業責任者の橘氏に話を伺った。
インタビューを通し、効果的な事業提携を実現するには「徹底したユーザー目線」「組織体としての相性」の2つがポイントになることが浮かび上がってきた。
連携を出発点として、リーガル市場をどう変えていくのか。その戦略に迫る。
どのような事業をされていますか。
早川さん(以下、早川)Hubbleは事業部と法務部の間で発生する、法務ドキュメント特化型のクラウドサービスです。
ブラウザ上に契約書のwordファイルを一度アップロードしてしまえば、それ以降のバージョン管理は全てブラウザ上で行うことができます。
また、「チェックお願いします」などのコミュニケーションもメールを介さず、チャット形式で出来ることも特徴の1つですね。
これまで面倒だったメールやWordの文化を変えることを目指しています。
早川 晋平(はやかわ・しんぺい)/ 株式会社Hubble 代表取締役社長。関西学院大学出身。新卒で税理士法人に入社し、ファイナンス・経営管理を学び、2年間で40社ほどのバックオフィスを支援。2016年4月に株式会社Hubbleを創業。(画像:ami)
橘さん(以下、橘) クラウドサインは、契約書の締結と保管を全てクラウド上で行えるプロダクトで、紙と印鑑が不要なことが最大の特徴です。
導入数は現時点で5万社を超えており、国内電子契約市場のうち、84%をクラウドサインが占めています。 クラウドサインは契約をもっと簡単に、効率的にすることを目指し、立ち上げてから4年が経ちました。
しかし依然として、役所や銀行では対面で紙を書く文化が残っています。その課題を解決するべく、対面の契約にフォーカスした新サービス「クラウドサインNOW」を来月リリースする予定です。
橘 大地(たちばな・だいち)/ クラウドサイン事業責任者。東京大学法科大学院、最高裁判所司法研修所修了。2014年GVA法律事務所入所、資金調達支援、資本政策アドバイス、ベンチャー企業に対する契約アドバイス、上場準備支援などを担当。2019年7月弁護士ドットコム株式会社取締役に就任。(画像:ami)
「大成功」と評する今回の連携のポイント
事業提携が増える中、形だけで終わる事例もあるのではないでしょうか。形式的なもので終わらせないために必要な考え方は何でしょうか。
橘「ユーザー体験が良くなるか」が最も重要な視点だと思います。
「クラウドサインと事業提携しました」と言うために提携するのか。あるいは「ユーザー体験を本当に良くしたい」という思いで提携するのか。
この差は提携の質に決定的に関わってきます。
たとえば、良くない提携例としては「お互いのメルマガで商品を紹介し合いましょう」といったものですね。クラウドサインを使うユーザーにとっては、全く関係ないプロダクトのメルマガが届いても嬉しくはないですから。
早川事業連携は、目的が明確じゃなければ意味がないですよね。 ユーザーが喜ぶどころか、連携している必要性を感じてもらえないのであれば、それは不要な事業提携ということです。
橘 事業提携によって、両社がどんなユーザー体験をつくり出せるのか。そこを考え切れているかが全てでしょうね。
両社がスムーズに連携できている理由を教えてください。
早川クラウドサインの方々が本当に前向きなスタンスだからだと思いますね。
アイデアを提案するとすぐに反応をいただきますし、必要であればオンライン会議も開いていただけます。
これまでクラウドサインが他社と連携した経験が蓄積され、スタートアップ以上のスピード感で対応が出来るのだと思います。
橘我々としても、この事業連携は大成功と呼んでいいと思います。
両社の現場のメンバーはSlack上でやり取りしていて、プロダクトの改善案やお互いの顧客紹介も飛び交っています。
クラウドサインがHubbleの契約受注に繋げることもあれば、Hubbleを使った後にクラウドサインに連絡が来るといったことが日常的に起こっています。
また、お互いに言いたいことを言える関係も特徴の1つです。
提携先に言いたいことをどう伝えるべきか、社内調整して伝える会社もあると思うんですね。しかし我々は良好な関係が築けているからこそ、「プロダクトはこう変えるべきではないか」といった厳しい意見を交わすことが出来ています。
プライベートでメンバーの仲が良いだけでなく、クラウドサインという組織体の人格とHubbleという組織体の人格の相性がよかったんだと思います。
スタートアップに伝えたいことは、事業提携しても何も起きないということです。事業提携してから両社のお付き合いが始まることを意識しないといけません。
たとえ著名な企業から提携依頼がきても、リソースを投下する必要性がなければその時間でユーザーに会いに行ったほうがいいと思います。
スムーズな提携はプロセスが最適化されている
連携の経緯を教えてください。
早川Hubbleを開始する前、サービスアイデアが固まったタイミングで、LegalTechの先輩としてクラウドサインを成長させていた橘さんに相談したことがきっかけです。そこからプロダクトの進捗を数ヶ月に1度共有していました。
橘さんに相談する中で、クラウドサインがより良いユーザー体験(UX)を提供するためには何が必要か、という話になったんですね。
クラウドサインは契約プロセス全体の内、「契約締結」以降をカバーするプロダクトのため、締結より前のプロセスには手を付けられていない。
契約書作成に強みを持つHubbleと連携すれば、UXを高められると考え、橘さんに検討していただくことになりました。
橘我々は、契約をバリューチェーンで捉えられると考えています。 契約書を作成し、相手先と交渉して、その後に社内稟議を通して締結、という一連の流れです。
(資料:クラウドサイン橘氏より提供) Hubbleとクラウドサインが連携することで、作成から締結までスムーズな体験が提供される
これらがスムーズに連動しないと契約締結に至りません。つまりUXを向上させるには、契約書作成や交渉のタスクにも目を向ける必要がありました。
このピースを埋める最適なプロダクトがHubbleでしたから、ユーザーのことを考えると組まない理由はありませんでしたね。
早川プロダクト連携にあたっては、Hubbleの全社員でクラウドサインのオフィスに伺い、開発担当やAPI連携担当を紹介いただくことからスタートしました。
橘クラウドサインはAPIを解放しているので、API連携をするだけなら、「こういう開発でスタートしましょう」とメールで打ち合わせするだけで済むケースもあります。
しかしHubbleとの連携は、「デザインの部分も含め最適なUXは何か?」という理想を叶えるため、何度も両社のプロダクト責任者やエンジニアが話し合って実現しています。
クラウドサイン独自で開発する構想はなかったのでしょうか。
橘もちろん戦略上、常に様々な選択肢を検討しています。
しかし契約締結の領域で他にすべきことがあり、Hubbleも存在する中で、我々が薄いプロダクトをつくってもユーザーのためにならないと考えました。
クラウドサインはまず、契約締結のプロセスを磨く。そしてHubbleは、契約書のバージョン管理を磨く。この連携こそが、最もユーザーにとってメリットがあると思っています。
(画像:OPOLJA / Shutterstock.com)
早川「クラウドサインの新機能」と言われることもありますね(笑)。しかし、そう思われることをポジティブに捉えています。
クラウドサインの導入社数は5万社以上ですから、多くのユーザーと接点が持てること自体がありがたいですよね。
僕は連携を一切迷わなかったし、Hubbleのメンバー全員が「ぜひやろう」と言ってくれました。
Hubbleの開発メンバーは優秀ですから、大企業が新規参入してもプロダクトの質と思想ではじき返す自信もありましたね。
リーガル市場の開拓に必要なバランス感覚
早川さんは元々会計事務所で働いていたそうですが、なぜLegalTechに挑戦しようと考えたのでしょうか。
早川弊社の取締役兼弁護士の酒井と仕事をして感じたことがきっかけでした。
彼が契約書をやり取りする際に、Wordファイルをメールに添付して送っていたんですが、一昔前のエンジニアがソースコードをメールに添付して対応していた姿と似ていたんですよね。
その時に「GitHubで解決できるんじゃないの?」とCTOの藤井が言った一言がHubbleの構想の始まりです。
リーガル市場ではなく、まず酒井向けに便利なツールをつくろうと考えました。
橘早川さんに聞きたいんですが、弁護士以外の立場から見てもリーガル市場は魅力的だったんでしょうか?
早川リーガルといっても弁護士だけがユーザーな訳ではありませんから、大きな可能性があると感じていました。
実際に、5名程度のスタートアップから三井不動産のような大企業まで幅広く導入いただいていますし、市場としてまだまだ開拓できる余地があると思っています。
酒井の例もそうですが、超難関の弁護士資格を持った方々が契約書のバージョン管理をローカルで行なっていて、才能を発揮する時間が削られていると思っていました。
僕はそういった優秀な方々がよりクライアントに目を向けられるよう、無駄な仕事を減らしたかったので、リーガル市場に興味を持ちました。
法務の領域は必ずしもIT化が進んでいるわけではありませんよね。これまでユーザーが持っていた価値観とプロダクトのバランスに苦労されることはありませんか。
橘スタートアップの取り組む課題によっては、失敗してもいいから挑戦しよう、という考えが許容される場合もあると思うんです。
しかし我々が取り組むLegalTechの領域では、「間違ってもいいからやろう」という思想は許されません。
「1つでも契約書データが外部に流出したら一生許されない」という覚悟をもった上で、慎重な設計が求められます。
初期のフェーズから、安定的なプロダクトを提供するためのセキュリティ構築と、法的な論拠を元にした堅実な運営と組織体制が必要になってきます。
ユーザーが求めることがセキュリティと安定ならば、スピード感を損なわずにそれに対応するだけだと思いますね。
早川たしかにこれまでリーガルの方々は、ITに触れる機会が少なかったかもしれません。
それでも、ただ最先端のツールを押し付けるのではなく、ユーザーの声を聞いて使いやすいものにしていくことが、LegalTech企業として求められることだと思います。
実際にプロダクトの提案をする際に、「愛をもってつくりました。どうですか?」とお聞きすると、皆さん「いいですね」と言ってくださいます。
対面でご提案してしっかり納得いただければ、リーガルの領域であろうと導入のハードルは全く感じません。
橘特にHubbleのプロダクトはその価値観を重視していると感じます。
Googleドキュメントの様な最先端のプロダクトを提供するアプローチもあり得たと思うんですが、敢えてWordに寄せていますよね。
早川仰る通り、最初はリーガルに特化したGoogleドキュメントのようなプロダクトをつくろうとしていて、対象となるユーザー数百名にもヒアリングも行いました。
ただ結果としては、そのプロダクトは誰も使わないだろうという結論に至りました。
それは彼らが今までWordで仕事をしてきたことに加え、普段使用するITのイメージとかけ離れていたからです。
最新のテクノロジーを無理に入れるのではなく、ユーザーの行動や文化を見極め、そこに最適なテクノロジーを導入していくことがリーガルでは特に求められると感じました。
文化を変えるにはテクノロジーが「寄り添う」スタンスが重要だ
商慣習としてどこに課題があると思いますか?
早川課題があるというよりは、そろそろテクノロジーがユーザーに寄り添うタイミングなんだと思います。
無理にリテラシーを上げようとするのではなく、段階を踏んでもらうことが重要ではないでしょうか。
既存の商慣習にも目を向けて、適切なタイミングで適切な機能を提供していく。そういった地道な取り組みが求められていると思います。
自分は弁護士ではありませんが、リーガル以外のいろいろな業界を知っている分、「他の業界はITでこういう取り組みをしていますよ」という俯瞰的な視点を提供することができます。
この視点はすごく重要だと思いますし、進んでいる業界の取り組みを少しずつ噛み砕いてリーガル業界に輸入していくことが自分の価値だと思っています。
逆に、橘さんはなぜITの世界にすんなりと入ってこれたんですか?
橘弁護士か否かという点ではなく、どれだけ長期的に事業に情熱を注げられるかが重要だと思います。それでも弁護士で良かったと思うことは、「自分が感じたペインを無くしたい」と思えたことです。
具体的には契約交渉をする中で、交渉が終わったのに締結にすぐ移れないことに課題を感じていました。
たとえば数社間で契約するケースだと、「広島に行った後は東京に行って、次は香港…」という押印リレーがなかなか終わらないんです。
契約が締結されない限り「まだ着金されないの?」といった悩みを当事者は抱え続けるわけですね。そのペインから解放されたくて、クラウドサインの事業に取り組んできました。
変わるか、日本の法務
電子契約が普及しつつあるとはいえ、日本では依然としてハンコ文化が一般的ですよね。
橘契約書の締結は世界的にはサイン文化ですから、電子でサインする文化への移行もそれほどハードルがない。一方で日本の場合、ハンコから電子契約という流れです。
劇的に文化が変わるという意味で、日本に一番可能性があると思ってやってきました。
LegalTech企業に共通して言えることですが、1社1社にプロダクトを導入してもらうことに加え、商慣習も変えるという2つの戦いが求められます。
クラウドサインも、「クラウドで契約、本当に大丈夫なの?」というご不安の声が生じるプロダクトです。
商慣習を変える取り組みとして、弁護士の方々と一緒にセミナーを開催したり、弁護士会で登壇させていただく機会を設けたりしています。
弁護士の皆様はこれまで安定的に法律サービスを提供してきた方々ですから、リスペクトをもって一緒に商慣習を作っていくことを強く意識しています。
日本のLegalTechはどう変わっていくべきでしょうか。
橘LegalTechの起業家はまだまだ数が足りないと思っています。
契約領域においては、クラウドサインの機能は充実してきましたが、相続のあり方や家族関係のあり方といった分野は、テクノロジーでイノベーションが起こせる領域だと思います。
その未知の領域にチャレンジする起業家が増えて欲しいですね。
早川僕らはスタートアップなので、いかに早くユーザーの課題を解決し、心地よい体験を提供できるかが全てです。
ですからLegalTechを変えるというより、プロダクトに投資をして、クラウドサインのようにこれまで当たり前とされてきた習慣を変え、ユーザーに寄り添っていきたいですね。
そして少しずつでもリーガル業界がクールな印象に変わるよう、我々が先頭を走っていきたいと思っています。
文・画像:ami