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2020/10/22

最年少の共同創業者。僕の人生を変えた、ゲームと韓国での経験

  • #海外
  • #ゲーム
  • #起業ストーリー

2020年9月、会社設立・100億円の調達発表と同時にユニコーン入りを果たしたスタートアップ企業がいる。インスタントプレイゲーム開発のPlaycoだ(速報記事はこちら)。

INITIALは日米から集結したPlaycoの共同創業者4名に独占インタビューを敢行。第四弾として共同創業者のテディ・クロス(Teddy Cross)氏のインタビューをお届けする。

テディ氏は、幼少期からプログラミングを始め、自作ゲームのヒットがきっかけで15歳の時にシリコンバレーに移住し、インターンを開始。その後シリコンバレーと韓国のスタートアップでエンジニアとして活躍し、最年少でPlaycoの共同創業者となった。

Playcoでは、主にゲームプロデューサーの役割を担う。なぜ彼はその若さで共同創業者になったのか。また韓国を拠点とする理由は何か。

「シリコンバレーと韓国での経験から、ローカライゼーションの重要性を学んだ」と語る彼の半生と、Playcoで取り組むプロダクト開発の考え方に迫る。

CONTENTS

技術が身近にある環境。Twitterでバズった自作ゲームがきっかけで、15歳でシリコンバレーへ移住

テディさんはPlaycoの最年少の共同創業者ですが、なぜその若さで現在のキャリアにまで至ったのでしょうか?

キャリアについて話す前に、生い立ちについてお話します。

私は米国のテネシー州チャタヌーガ市で育ち、小さい頃から物を作るのが大好きでした。チャタヌーガは人口わずか18万人の都市ですが、活気のあるスタートアップエコシステムがありました。また、全米で初めて全住民にギガビット(高速)インターネットを全家庭に導入した都市でもあります。

父もソフトウェアエンジニア出身で、自身の会社を経営するなど、出身地や家族などテクノロジーが身近にある環境で育ちました。

子供の頃からおもちゃのLEGO(レゴ)に夢中で、11歳の時にはLEGO社が主催する大会に出場し、初めてプログラミングに触れ、ロボット競技に挑戦しました。身近にコンピューターや高速インターネットがあったこともあり、プログラミングを始めるのは私にとって自然なことでした。

とにかく何かを作りたい気持ちが強かったです。手始めにロボット工学チームのウェブサイトを作りました。その後、ウェブサイトで動きをつけるため、JavaScript、HTML5などの技術を学び始めます。

技術を学び、次はゲームを作ることになりました。これまで誰もHTML5でゲームを作ったことはなかったですが、誰にでも開かれている技術だったので、やってみようと思い挑戦しました。Flashゲームのスタイルでしたが、完全HTML5のシンプルなゲームを2010年に作りました。

また2010年当時、Twitterは多くの新しい技術が活用されてとてもクールでした。そこで、私はTwitterのオープンAPI技術をゲームに組み込みました。プレイヤーがゲームスコアを投稿できるようなシステムを作りたかったのです。

写真:FrameStockFootages / shutterstock.com

具体的には、ゲーム内にTwitterのスコアを投稿するリンクを用意し、ハッシュタグを使ってウェブ上の全プレイヤーのゲームスコアをリアルタイムで表示する仕組みをつくりました。ハッシュタグには、ゲームのリンクが表示されていました。

そこからは雪だるま式に話が進んでいきます。この仕組みがきっかけで、私が作ったゲームがTwitter上でバズり、スタートアップやテクノロジー業界の人気ニュースサイトであるHacker News(ハッカーニュース)のトップに取り上げられました。

マイケル(Playcoの創業者、CEO)が私を見つけたのもこの時です。HTML5 WebSocketの技術開発に携わっていた彼は、人里離れた場所で一人でHTML5ゲームを作っている私にメールで連絡をしてくれました。

電話で何度か話し、面接を数回経て「カリフォルニアに来ない?」と誘われました。その2週間後にはシリコンバレーに向かい、彼のもとで(Playcoの前身となる)Game Closureのインターンとしてしばらく働きました。

当時、15歳のことです。シリコンバレーで素晴らしい経験をして、これこそが自分のやりたいことだと気づき、引っ越しました。私にとってはキャリアの最初の大きな一歩でした。

思春期のあなたにとって、シリコンバレーでの生活は刺激的でしたか?

当時、Game Closureはスタンフォード大学のアクセラレーター・StartXに所属していました。StartXのコミュニティを通じて、私は多くの友人を作りました。

Game Closureのインターンが終わった後、2012年にStartXの友人数名が立ち上げた会社に、初めてのエンジニアとして参画しました。会社名はStanzaです。

現在もスポーツなどのイベントカレンダーが同期できるサービスを提供していますが、このサービスに至るまでに何回もピボットしました。BtoC、BtoBといくつもの異なるアイデアを試し、多くのことを学びました。

これまでGame Closureでは主にフロントエンドでウェブ・ゲーム開発を行っていましたが、Stanzaではフロントからバックエンドまでフルスタックで開発していました。

韓国スタートアップで4年間勤務。日本での再会で、Playcoの最年少共同創業者へ

現在は韓国を拠点としていますが、きっかけは何だったんですか。

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