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最終更新日: 2019-12-06
一建設株式会社
法人番号: IPO(調査終了)

一建設株式会社

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法人番号:

一建設株式会社

事業内容
戸建・マンション分譲の施工販売
検索キーワード:
分譲,マンション

-
(調査終了)
IPO時 時価総額(初値)
65,693百万円
IPO時従業員数
797

株主(IPO時)
データ未作成です

企業概要
情報ソースについて

企業名
一建設株式会社
英語名
Hajime Construction Co., Ltd.
代表者名
小泉 公善
住所
東京都練馬区石神井町2-26-11
URL
http://www.hajime-kensetsu.co.jp/
設立
1967-02
タイプ
IPO企業
業種
産業・エネルギー
IPO区分
VC対象外
IPO年月日
2009-12-25
IPO市場
旧ジャスダック
市場の移動
上場廃止(完全子会社化)
証券コード
3268
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「リトルトーキョー」の仕掛け人はこの人だった!東京を世界一魅力的な街にすることを目指す、森ビル・黒田哲二さんの仕事哲学 [企業内起業家] | greenz.jp グリーンズ
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黒田哲二さん(リトルトーキョーにて) 「ぼく、トラのもん」で話題の「虎ノ門ヒルズ」脇に、趣ある老舗のお寿司屋さんをリノベーションしたカフェ兼イベントスペースがあります。それがグリーンズと日本仕事百貨が運営する「リトルトーキョー」です。 虎ノ門にはリトルトーキョーのほか、ランドスケーププロダクツのギャラリー「Curator's Cube」など、実はたくさんのカルチャースポットが点在しています。その仕掛け人が、今回ご紹介する黒田哲二さんです。 最近「イントレプレナー」と呼ばれる、大企業の中にいながら、起業家のように自由な発想とフットワークで活動をする人たちが増えています。森ビル株式会社に勤める黒田さんも、正にそんな働き方を実践している一人です。 今回は黒田さんがどのように会社の中で自分のポジションをつくっていったのか、お話を伺いました。   虎ノ門ヒルズ Some rights reserved by 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia イントレプレナー的に働くに至るまで 大学時代に建築を専攻していた黒田さんは、卒業後は建築家を目指して隈研吾建築都市設計事務所に就職しました。 建築設計の仕事では、建物をつくる時は「つくる人」と「使う人」が関わります。最初はどちらも良いものをつくろうという気持ちでスタートします。 しかし、互いの“良いもの”のベクトルがズレていったり、つくる人が使う人に寄り添えず、要望をうまくまとめられなかったりして、建物が完成した時にどちらにも不満が残ったことがありました。 僕の力不足ということでもあったんですけど、完成した時に僕も不完全燃焼だし、建主さんも心残りがある感じになってしまって。建物はずっと残る訳だから、これってすごい不幸なことだなと。 それで、「つくる人」と「使う人」、両者をうまくつなぐ仕事みたいなものもあるんじゃないかと思ったんです。 それに、建築事務所の同僚には優秀な人が多く、「自分よりも他の人がやった方がいいんじゃないか」「細かい図面を描くのは自分には合っていないのでは」という思いもありました。そんな時に出会った会社が、コーポラティブハウスを手掛けていた都市デザインシステム株式会社(UDS株式会社)です。   都市デザインシステムは、まさに「つくる人」と「使う人」をつなげる、建築のコーディネート業をやっていました。 黒田さんはホテルのプロジェクトで、建築する人とサービスする人をつなぐプロジェクトマネージメントに携わります。当時の社長が「会社の名前を使って面白い人にはどんどん会いに行け」と言ってくれていたこともあり、ホテルのプロジェクトの関係で西村佳哲さんに出会います。 西村さんは、『自分の仕事をつくる』の著者としてお馴染みですが、デザインとモノづくりの会社リビングワールドでは、風が吹くと明かりが点き、風の強さで明かりの強弱が変わるランプ「風灯」などもつくっていました。 リゾートホテルのプロジェクトでも、「風灯」のように沖縄の自然を感じられる媒介となるような仕組みができればと、西村さんに相談をしていたのです。 沖縄のリゾートホテルの仕事に手応えを感じていましたが、残念ながらプロジェクトは頓挫してしまい、それを機に、黒田さんは今の森ビル株式会社に転職しました。 建築をあきらめたくなかった 黒田さんが現在の働き方に至るまでに、とても影響を受けた言葉があります。 建築をあきらめたくなかったから、建築家をあきらめた。 これは、以前グリーンズのインタビューでもお話してくださった「東京R不動産」の林厚見さんの言葉です。偶然にも林さんは、黒田さんの大学の先輩であり、建築学科を出たあとに、建築家とは違うかたちで建築に関わる道を選んだ人でした。 建築や街づくりの仕事には、建築家だけではなく、それを支えるサービスのような仕事もあります。そういう仕事をすれば、ずっと建築の世界に関わることができるということを、林さんは言葉だけでなく体現していました。 学生の頃にバックパッカーで世界中の色々な街を見て回った黒田さんは、「東京にもこんな魅力があったら。それに関わる仕事ができれば」と漠然と思っていました。 大学で建築を専攻していたので、何となく建築設計事務所に入り、建築家を目指してみたものの、自分の資質や適性に疑問が出てきた。だけど、建築に関わることはあきらめたくない。この言葉は、そんな葛藤の答えを見つけるヒントになりました。 目指すのは「レスポンシブル・デベロップメント(開発)」 リトルトーキョー 森ビルに転職した黒田さんは、前職での働き方を取り入れながら、今の会社の強味である土地や場所を活かすことができそうな人にどんどん会いに行き、仕事に結びつけていきます。 虎ノ門ヒルズの開発という大きな仕事に携わりながら、その周辺にリトルトーキョーやCurator's Cubeのような、小さくても文化的な要素のある人や会社を誘致したのは、虎ノ門を魅力的な街にする下地をつくりたかったからです。 虎ノ門ヒルズみたいな大きい建物がポンとできても、普通はオフィスの用途で、それをサポートする飲食店があって、ファッションとか買い物しに来る人はいません。そのままにしていたら、同じようなものが別の場所にも建つことになってしまう。そうすると街が面白くなくなっていく。 ソーシャルビジネスの中心にいるグリーンズとか、ランドスケーププロダクツみたいなものづくり系の中心にいる人たちとコンタクトを取ることで、今まで虎ノ門に来なかった人たちを連れてくることができます。 大きい建物ができるだけではなくて、周辺に違うタイプの人を呼びこむようなものがないと、街は変わっていかないと思うんです。 Curator's Cube 虎ノ門ヒルズができた今、黒田さんは虎ノ門ヒルズとその周辺のエリアマネジメントという仕事に取り組んでいます。 アウトドアブランド「パタゴニア」の創業者であるイヴォン・シュイナードが、環境危機を解決するための手段としてビジネスを利用するという意味で「レスポンシブル・カンパニー」という言葉を使っていますが、黒田さんはこの言葉にも影響を受け「レスポンシブル・デベロップメント(開発)」ができたらと考えているようです。 昔は街中に立っている地図看板を見て、駅を降りたらどこに何があるか、何個目の角を曲がって、と確認してましたよね。パソコンが普及したら地図をプリントアウトするようになって、今はもう全部スマホで済みます。 これって都市の体験の仕方がすごく変わってきてると思うんです。まだぼんやりなんですけど、こういう都市の体験とIT技術が街を変えていくんじゃないかなと思ってます。 黒田さんが今興味があるのは、大きなビルや総合施設を建てるだけでなく、そのエリアのサービスやプラットフォームをIT技術を使い新しく構築することで、街に来る人の体験がもっと変わっていくのではないかということです。 そうやってエリアの価値を高めることで、画一的な同じ街がいくつもできるのではなく、それぞれの街が魅力的になっていくのではないかと。 東京を世界一魅力的な街にする 最後は遠いような近いような未来の話になりましたが、黒田さんがイントレプレナー的に働いている理由がよく分かりました。 イントレプレナーという言葉を聞くと、組織に属しながら自由気ままにやっているような印象もあるかもしれませんが、黒田さんの働き方の根底には、「東京を世界一魅力的な街にする」という今の会社のビジョンを実現するという目的があります。 それに黒田さんは、イントレプレナー的に働くには、今自分の所属している会社の強味を活かしながら、仕事に結びつけていかなければ意味がないと考えています。 イントレプレナーという働き方に憧れを抱いている人や、どうすればこのような働き方ができるのかと模索している人は、まずは会社の強味や魅力を活かそうと考えてみることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。
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とにかく他人のせいにしないこと。エネルギーから世界を変える磯野謙さんが「自然電力」をつくるまで [STORY OF MY DOTS] | greenz.jp グリーンズ
greenz.jp2014/06/03
Some rights reserved by elPadawan 特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために 種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。 今回お話を聞いたのは、自然電力株式会社を創業した磯野謙さん。自然電力株式会社は、「エネルギーから世界を変える」というビジョンを掲げ、2011年の創業以来、再生可能エネルギー事業を通して社会の問題を解決することを目的に事業を進めています。 2013年にはドイツのjuwi(ユーイ)社とのジョイント・ベンチャー会社を設立。国際色豊かなメンバーとグローバルな技術で、日本の各地域に根ざした高品質な発電所を提供しています。   磯野謙(いその・けん) 大学卒業後、株式会社リクルートにて、広告営業を担当。その後、風力発電事業会社に転職し、全国の風力発電所の開発・建設・メンテナンス事業に従事。2011年6月、自然電力(株)を設立し、代表取締役に就任。主に地域産業と連携した事業開発を担当。2013年1月juwi自然電力設立後、同社取締役も兼務。長野県生まれ。慶應義塾ニューヨーク学院、慶應義塾大学環境情報学部卒業。コロンビアビジネススクール・ロンドンビジネススクールMBA。 南米で出会ったきれいな海を忘れない 磯野さんは大学4年生の時に、海外の約60カ国を巡る旅をしました。多くの旅先の中でも、特に忘れられない光景があると言います。 自然がすんごいきれいな、南米の離島に行ったんですよ。そこで見た光景ってのは今でも忘れないぐらい。マングローブが根っこまで綺麗に見えてて。マングローブって淡水と海水の間にあるから、水は濁ってるような感じなんですけど、そこはですね、もう全部透明で。根っこにいる魚まで全部見えてスゴいなって思ったんです。 磯野さんは長野県生まれで、自然やアウトドアスポーツが大好き。旅をしながらも、手段は分からないけれど、きれいな場所に住んで、苦手な都会よりも自然の中でビジネスをできたらいいな、と考えていたそうです。 そんな中でこの島の地元の人から聞いた話も、心に深く残ることになります。島周辺にある多くの無人島が、資源開発のためになくなりつつあったのです。そこで磯野さんは、「地球をきれいにすることをビジネスでできたら」と考えるように。 「海や地球をきれいに」というこの思いは、後に創業する自然電力株式会社のコーポレートロゴにも表れることになります。   自然電力株式会社のロゴは、海と地球を意味しています。創始者たちが海と深い関わりを持ち、そこで感じた自然への思いやりが、この事業の発端となりました。持続可能で安全な地球の未来のために、毎日を安心して過ごせるように、自然の恩恵を受け、地球に返していく、そんなビジネスを目指しています。 卒業後に就職したリクルート社を、磯野さんは2年で退職。その後の状況について、「ニートに近かった」と磯野さんは言います。 僕がイメージしている未来というのは、きれいな自然があって、秋田犬みたいな大きな犬もいて、美味しい野菜もあって…というもの。当時の自分の生活ではそれらは揃ってはいましたが、それは瞬間として切り取ってみると、揃っているというだけでした。 ニートでしたよ、ほんとに。努力はし続けて、何もしてなかった訳ではないけれど。 大好きな自然はある。だけど一人でなんとか生きていて、自分だけが自然に満足している状態も嫌だな、という思いが磯野さんにはありました。また、この状態をキープできるのか、とも考えていました。 30年後もその先もこの生活を続けるには、今やっていることだけではダメなんじゃないか。もし子どもができたり、両親の健康が悪くなったりしたら、今の所得水準では“自分がほしい生活”はやっぱりできないのではないか、と思ったのです。 自分がほしい生活を“維持”するには、必要なものは変わってきます。経験による対応力だったりとか、問題の解決能力、ビジネス的なスキルも必要だし、自分の人間力っていうのも多分大事だと思う。ほしい生活に向かっていろんなものを、どんどん成長させていかないとダメなんじゃないかなって思います。 自分の価値観にぴったりはまる天職との出会い 転機となったのは、後輩がたまたま働いていた風力発電のベンチャー会社を受けたときのこと。面接会場の発電所の工事現場で大きな衝撃を受けたと言います。 それまで風力発電には関心はあるけど“知っている”だけでしたが、実際の風車建設風景を見て、それを事業とする社長と直接話をしていくと、かつて旅をした島で感じた「自然の中で地球をきれいにする仕事をしたい」という思いが再び強まりました。手段はわからないけれど、風車を見て「これは天職だ」と直感した磯野さんは、その会社に参加し、新規事業を担当することになります。 しかしその後、風力発電事業にとって大きな課題が出てきました。国が再生可能エネルギー導入を止めることになったのです。政策的な後押しもなく、発電所をつくるコストは高い。作っても売れない状況が続きます。   『論語と算盤』(渋沢栄一著) そんなとき、磯野さんは一冊の本に出会います。その『論語と算盤』(渋沢栄一著)という本は、利潤と道徳の調和について書かれたものでしたが、その中で紹介されていた「自分には厳しく、他人には寛大に」という論語の言葉が、その後の磯野さんに強い影響を与えました。 その内容を自問自答すると、他人のせいにしている自分に気がついたと振り返ります。 自分のなかでは努力してたんですけど、僕はその本に出会うまで、なんかね、やっぱ他人のせいにしてたと思うんですよ。レイブルな人には、本当に才能があって遅咲きの人もいれば、他人のせいにしてて成長してないっていうパターンも結構あると思うんです。僕はそっちでしたね。 再生可能エネルギーって天職だなって思ったんですけど、政策的なこととか社会的な状況で、正直事業としては難しくて、どこかそのせいにしてしまっている自分もいた。でも自分で選んだ道だったし、その意思決定したのは自分だっていうことに気づいた瞬間から変わってきたと思います。自分の立ち位置や自分とまわりの関係も含めて。 自分がやる、という覚悟を決めた 3.11の東日本大震災の後、磯野さんは自分たちが何をするべきかを同僚と話し合います。そうして自分たちがやれることは再生可能エネルギーを増やすことで、再生可能エネルギーの発電所の作り方をよくわかっている自分たちがやるしかない、とそのメンバーとともに自然電力株式会社を立ち上げることにしたのです。 その当時は固定価格買取制度もなく、政策的な後押しは見えませんでしたが、磯野さんたちは他人のせいにはせずに「自分たちでやるしかない」と考えるように。その時、磯野さんはそれまでの点と点がつながった、と言います。 「STORY OF MY DOTS」っていう企画はすごくいいですね。僕もスティーブ・ジョブズの「Connecting the Dots」の言葉をかなり良く使ってるんですけど、僕も30歳の時に全部点がつながったんですよ。 環境問題をビジネスで解決したいという思いは20代の前半から変わってないけど、20代じゃ多分できなかったと思いますね。例えばビジネスの規模も扱う金額も大きいじゃないですか。それまで出会ったコンサル会社や広告会社の友人も、30歳くらいになってくると決裁権を持って、自分たちでできるようになってるんです。 だから30歳というタイミングは、この事業をつくることに賛成してくれる友達が、気持ち的に賛成なだけじゃなくて、仕事として一緒に乗っかってくれることができるようになる時期だったんです。 タイミングは“待つ”ものではなくて“来る”ものだ、と磯野さん。タイミングは来た時に掴むもの。止まって待っているのではなくて、イメージを持って動いていないと掴めないのではないか。そのためには「自分の中に軸が必要」だと言います。 よくスポーツ選手がイメトレが大事だと言っていますが、ビジネスをやるにも、何をやるにも、それと近いと思うんですよね。イマジネーションというか、イメージがあるから動ける。 僕の場合も、こう動いたらこうなって、こうなるだろうみたいな、そういうイメージは結構してるかな。その時考えられることを全部考えて、その中の一番良いもので動いてみる。僕はイメージしてから動き出すまでが早いから、ただ動いているように見えたり、人に伝わりにくいことがあるんですけど、実はロジカルに考えているんです。 待っていても誰かがやってくれるわけじゃないし、その時に自分ができることで突き進むしかない。そこでタイミングが来ると、点と点がつながる瞬間があるんじゃないかなと思います。 世界規模の視野を持ち、地域に根ざす 磯野さんが同僚のメンバーと創業した自然電力株式会社は、1年半後には再生可能エネルギー分野における世界トップレベルの企業juwi(ユーイ)との国際ジョイント・ベンチャー、juwi自然電力株式会社を設立し、大きく成長します。 juwi社が自然電力株式会社をパートナーに選んだのは、マーケット事情や規制などのローカル情報に深い理解があり、持続可能な地域開発力があることが理由でした。   (C)自然電力(株) 自然電力グループでは発電所をつくるだけではなく、それを維持するための仕組みや地域コミュニティ、地域産業のことまで考えています。 例えば地元業者との協業や売電収入の一部を地元に還元するとか、ローカルコミュニティの活性化を大切にしています。 熊本県合志市との取り組みでは、自然エネルギーを謳った新たな地域ブランドを創出して、地元の農産物などの販売促進につなげていく仕組み作りを進めています。エネルギーの先にある、人の営みや地域の産業まで、地域と一緒に考えていくんです。そういう思いを込めて、僕たちは経営ビジョンとして「エネルギーから世界をかえる」と言っています。 調印式で握手する荒木義行市長(左)と磯野さん(右) (C)自然電力(株) 関西周辺では、今年の春、和歌山県みなべ町にメガソーラー発電所を竣工するそうです。 ここは地元の森林組合が所有する休眠地を活用してるんですよ。みなべ町は備長炭という炭を伝統産業としていて、その原料の「ウバメガシ」をこの土地に隣接する森で育成しているんです。 発電所の工事中も竣工後も、この発電所は周囲の森と共存します。そういう風に、僕たちは日本の各地域やニーズをまず聞いて、それに適したかたちで世界の知識や経験を提供していく、という“ローカル&グローバル”なスタイルをとっています。 みなべ町の建設予定地 (C)自然電力(株) とにかく、他人のせいにしないこと 日本中を仕事で旅する磯野さん。この日も北海道へ向かう途中でした。仕事の後の休みに予定しているスノボが楽しみという磯野さんに、最後にレイブル期にいる人たちへのメッセージを伺いました。 自分の人生を楽しめるか、幸せになれるかってのは、自分次第だから、やっぱり他人のせいにしないってことだと思います。僕の場合は、数十年後も自分は生きてるだろうし、そういう未来で自分がどういう世界に住みたいかとか、どう生きたいかということを、ただ追求しているだけっていう感じです。 自然電力の仕事は社会的価値も、意義もすごくある仕事だと思ってるし、同時にやっぱり自分の未来も自分でつくっているっていう意識もあるんです。ここが両立しないと続かないと思うんですよ。だから、他人のせいにしないってのに尽きるんですよね。 他人のせいにしないで自分の未来を自分でつくる。そう決めた磯野さんは、30歳の時にいくつかの点がつながりました。しかしそれまでには、考えながら動いて、たくさんの点をつくりだすプロセスがあったようです。 ほしい未来をイメージする。その思いを追求して行動する。それが新しい現実を作り出すヒントなのかもしれません。
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greenz.jp2014/06/03
Some rights reserved by elPadawan 特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために 種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。 今回お話を聞いたのは、自然電力株式会社を創業した磯野謙さん。自然電力株式会社は、「エネルギーから世界を変える」というビジョンを掲げ、2011年の創業以来、再生可能エネルギー事業を通して社会の問題を解決することを目的に事業を進めています。 2013年にはドイツのjuwi(ユーイ)社とのジョイント・ベンチャー会社を設立。国際色豊かなメンバーとグローバルな技術で、日本の各地域に根ざした高品質な発電所を提供しています。   磯野謙(いその・けん) 大学卒業後、株式会社リクルートにて、広告営業を担当。その後、風力発電事業会社に転職し、全国の風力発電所の開発・建設・メンテナンス事業に従事。2011年6月、自然電力(株)を設立し、代表取締役に就任。主に地域産業と連携した事業開発を担当。2013年1月juwi自然電力設立後、同社取締役も兼務。長野県生まれ。慶應義塾ニューヨーク学院、慶應義塾大学環境情報学部卒業。コロンビアビジネススクール・ロンドンビジネススクールMBA。 南米で出会ったきれいな海を忘れない 磯野さんは大学4年生の時に、海外の約60カ国を巡る旅をしました。多くの旅先の中でも、特に忘れられない光景があると言います。 自然がすんごいきれいな、南米の離島に行ったんですよ。そこで見た光景ってのは今でも忘れないぐらい。マングローブが根っこまで綺麗に見えてて。マングローブって淡水と海水の間にあるから、水は濁ってるような感じなんですけど、そこはですね、もう全部透明で。根っこにいる魚まで全部見えてスゴいなって思ったんです。 磯野さんは長野県生まれで、自然やアウトドアスポーツが大好き。旅をしながらも、手段は分からないけれど、きれいな場所に住んで、苦手な都会よりも自然の中でビジネスをできたらいいな、と考えていたそうです。 そんな中でこの島の地元の人から聞いた話も、心に深く残ることになります。島周辺にある多くの無人島が、資源開発のためになくなりつつあったのです。そこで磯野さんは、「地球をきれいにすることをビジネスでできたら」と考えるように。 「海や地球をきれいに」というこの思いは、後に創業する自然電力株式会社のコーポレートロゴにも表れることになります。   自然電力株式会社のロゴは、海と地球を意味しています。創始者たちが海と深い関わりを持ち、そこで感じた自然への思いやりが、この事業の発端となりました。持続可能で安全な地球の未来のために、毎日を安心して過ごせるように、自然の恩恵を受け、地球に返していく、そんなビジネスを目指しています。 卒業後に就職したリクルート社を、磯野さんは2年で退職。その後の状況について、「ニートに近かった」と磯野さんは言います。 僕がイメージしている未来というのは、きれいな自然があって、秋田犬みたいな大きな犬もいて、美味しい野菜もあって…というもの。当時の自分の生活ではそれらは揃ってはいましたが、それは瞬間として切り取ってみると、揃っているというだけでした。 ニートでしたよ、ほんとに。努力はし続けて、何もしてなかった訳ではないけれど。 大好きな自然はある。だけど一人でなんとか生きていて、自分だけが自然に満足している状態も嫌だな、という思いが磯野さんにはありました。また、この状態をキープできるのか、とも考えていました。 30年後もその先もこの生活を続けるには、今やっていることだけではダメなんじゃないか。もし子どもができたり、両親の健康が悪くなったりしたら、今の所得水準では“自分がほしい生活”はやっぱりできないのではないか、と思ったのです。 自分がほしい生活を“維持”するには、必要なものは変わってきます。経験による対応力だったりとか、問題の解決能力、ビジネス的なスキルも必要だし、自分の人間力っていうのも多分大事だと思う。ほしい生活に向かっていろんなものを、どんどん成長させていかないとダメなんじゃないかなって思います。 自分の価値観にぴったりはまる天職との出会い 転機となったのは、後輩がたまたま働いていた風力発電のベンチャー会社を受けたときのこと。面接会場の発電所の工事現場で大きな衝撃を受けたと言います。 それまで風力発電には関心はあるけど“知っている”だけでしたが、実際の風車建設風景を見て、それを事業とする社長と直接話をしていくと、かつて旅をした島で感じた「自然の中で地球をきれいにする仕事をしたい」という思いが再び強まりました。手段はわからないけれど、風車を見て「これは天職だ」と直感した磯野さんは、その会社に参加し、新規事業を担当することになります。 しかしその後、風力発電事業にとって大きな課題が出てきました。国が再生可能エネルギー導入を止めることになったのです。政策的な後押しもなく、発電所をつくるコストは高い。作っても売れない状況が続きます。   『論語と算盤』(渋沢栄一著) そんなとき、磯野さんは一冊の本に出会います。その『論語と算盤』(渋沢栄一著)という本は、利潤と道徳の調和について書かれたものでしたが、その中で紹介されていた「自分には厳しく、他人には寛大に」という論語の言葉が、その後の磯野さんに強い影響を与えました。 その内容を自問自答すると、他人のせいにしている自分に気がついたと振り返ります。 自分のなかでは努力してたんですけど、僕はその本に出会うまで、なんかね、やっぱ他人のせいにしてたと思うんですよ。レイブルな人には、本当に才能があって遅咲きの人もいれば、他人のせいにしてて成長してないっていうパターンも結構あると思うんです。僕はそっちでしたね。 再生可能エネルギーって天職だなって思ったんですけど、政策的なこととか社会的な状況で、正直事業としては難しくて、どこかそのせいにしてしまっている自分もいた。でも自分で選んだ道だったし、その意思決定したのは自分だっていうことに気づいた瞬間から変わってきたと思います。自分の立ち位置や自分とまわりの関係も含めて。 自分がやる、という覚悟を決めた 3.11の東日本大震災の後、磯野さんは自分たちが何をするべきかを同僚と話し合います。そうして自分たちがやれることは再生可能エネルギーを増やすことで、再生可能エネルギーの発電所の作り方をよくわかっている自分たちがやるしかない、とそのメンバーとともに自然電力株式会社を立ち上げることにしたのです。 その当時は固定価格買取制度もなく、政策的な後押しは見えませんでしたが、磯野さんたちは他人のせいにはせずに「自分たちでやるしかない」と考えるように。その時、磯野さんはそれまでの点と点がつながった、と言います。 「STORY OF MY DOTS」っていう企画はすごくいいですね。僕もスティーブ・ジョブズの「Connecting the Dots」の言葉をかなり良く使ってるんですけど、僕も30歳の時に全部点がつながったんですよ。 環境問題をビジネスで解決したいという思いは20代の前半から変わってないけど、20代じゃ多分できなかったと思いますね。例えばビジネスの規模も扱う金額も大きいじゃないですか。それまで出会ったコンサル会社や広告会社の友人も、30歳くらいになってくると決裁権を持って、自分たちでできるようになってるんです。 だから30歳というタイミングは、この事業をつくることに賛成してくれる友達が、気持ち的に賛成なだけじゃなくて、仕事として一緒に乗っかってくれることができるようになる時期だったんです。 タイミングは“待つ”ものではなくて“来る”ものだ、と磯野さん。タイミングは来た時に掴むもの。止まって待っているのではなくて、イメージを持って動いていないと掴めないのではないか。そのためには「自分の中に軸が必要」だと言います。 よくスポーツ選手がイメトレが大事だと言っていますが、ビジネスをやるにも、何をやるにも、それと近いと思うんですよね。イマジネーションというか、イメージがあるから動ける。 僕の場合も、こう動いたらこうなって、こうなるだろうみたいな、そういうイメージは結構してるかな。その時考えられることを全部考えて、その中の一番良いもので動いてみる。僕はイメージしてから動き出すまでが早いから、ただ動いているように見えたり、人に伝わりにくいことがあるんですけど、実はロジカルに考えているんです。 待っていても誰かがやってくれるわけじゃないし、その時に自分ができることで突き進むしかない。そこでタイミングが来ると、点と点がつながる瞬間があるんじゃないかなと思います。 世界規模の視野を持ち、地域に根ざす 磯野さんが同僚のメンバーと創業した自然電力株式会社は、1年半後には再生可能エネルギー分野における世界トップレベルの企業juwi(ユーイ)との国際ジョイント・ベンチャー、juwi自然電力株式会社を設立し、大きく成長します。 juwi社が自然電力株式会社をパートナーに選んだのは、マーケット事情や規制などのローカル情報に深い理解があり、持続可能な地域開発力があることが理由でした。   (C)自然電力(株) 自然電力グループでは発電所をつくるだけではなく、それを維持するための仕組みや地域コミュニティ、地域産業のことまで考えています。 例えば地元業者との協業や売電収入の一部を地元に還元するとか、ローカルコミュニティの活性化を大切にしています。 熊本県合志市との取り組みでは、自然エネルギーを謳った新たな地域ブランドを創出して、地元の農産物などの販売促進につなげていく仕組み作りを進めています。エネルギーの先にある、人の営みや地域の産業まで、地域と一緒に考えていくんです。そういう思いを込めて、僕たちは経営ビジョンとして「エネルギーから世界をかえる」と言っています。 調印式で握手する荒木義行市長(左)と磯野さん(右) (C)自然電力(株) 関西周辺では、今年の春、和歌山県みなべ町にメガソーラー発電所を竣工するそうです。 ここは地元の森林組合が所有する休眠地を活用してるんですよ。みなべ町は備長炭という炭を伝統産業としていて、その原料の「ウバメガシ」をこの土地に隣接する森で育成しているんです。 発電所の工事中も竣工後も、この発電所は周囲の森と共存します。そういう風に、僕たちは日本の各地域やニーズをまず聞いて、それに適したかたちで世界の知識や経験を提供していく、という“ローカル&グローバル”なスタイルをとっています。 みなべ町の建設予定地 (C)自然電力(株) とにかく、他人のせいにしないこと 日本中を仕事で旅する磯野さん。この日も北海道へ向かう途中でした。仕事の後の休みに予定しているスノボが楽しみという磯野さんに、最後にレイブル期にいる人たちへのメッセージを伺いました。 自分の人生を楽しめるか、幸せになれるかってのは、自分次第だから、やっぱり他人のせいにしないってことだと思います。僕の場合は、数十年後も自分は生きてるだろうし、そういう未来で自分がどういう世界に住みたいかとか、どう生きたいかということを、ただ追求しているだけっていう感じです。 自然電力の仕事は社会的価値も、意義もすごくある仕事だと思ってるし、同時にやっぱり自分の未来も自分でつくっているっていう意識もあるんです。ここが両立しないと続かないと思うんですよ。だから、他人のせいにしないってのに尽きるんですよね。 他人のせいにしないで自分の未来を自分でつくる。そう決めた磯野さんは、30歳の時にいくつかの点がつながりました。しかしそれまでには、考えながら動いて、たくさんの点をつくりだすプロセスがあったようです。 ほしい未来をイメージする。その思いを追求して行動する。それが新しい現実を作り出すヒントなのかもしれません。
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LINE・森川氏×MOVIDA JAPAN・孫氏×福岡市長・高島氏 日本を変えるモデルをつくる ~創業特区でのベンチャー生態系形成~(G1ベンチャー2014) | GLOBIS.TV
globis.tv2014/05/07
G1ベンチャー2014 第2部 全体会  「日本を変えるモデルをつくる ~創業特区でのベンチャー生態系形成~」※期間限定公開 2014年春、国家戦略特区の第一弾として、創業特区に指定された福岡市。雇用分野の規制の改革拠点として、日本の成長のエンジンとなるベンチャー生態系の創出を目指す。スタートアップ都市・福岡モデルの確立と普及に向けて、どのような打ち手が必要か。福岡市長・高島宗一郎氏、国内第二の拠点として福岡社屋の建設を進めるLINE森川亮社長、「東アジア・シリコンバレー構想」を掲げる孫泰蔵氏をパネリストに迎え、経済同友会ベンチャー創造委員会委員長を務めるグロービス堀義人と共に議論する。 孫 泰蔵氏 MOVIDA JAPAN株式会社 代表取締役社長兼CEO 高島 宗一郎氏 福岡市長 森川 亮氏 LINE株式会社 代表取締役社長 堀 義人( モデレーター ) グロービス経営大学院 学長 グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー
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G1ベンチャー2014 第2部 全体会  「日本を変えるモデルをつくる ~創業特区でのベンチャー生態系形成~」※期間限定公開 2014年春、国家戦略特区の第一弾として、創業特区に指定された福岡市。雇用分野の規制の改革拠点として、日本の成長のエンジンとなるベンチャー生態系の創出を目指す。スタートアップ都市・福岡モデルの確立と普及に向けて、どのような打ち手が必要か。福岡市長・高島宗一郎氏、国内第二の拠点として福岡社屋の建設を進めるLINE森川亮社長、「東アジア・シリコンバレー構想」を掲げる孫泰蔵氏をパネリストに迎え、経済同友会ベンチャー創造委員会委員長を務めるグロービス堀義人と共に議論する。 孫 泰蔵氏 MOVIDA JAPAN株式会社 代表取締役社長兼CEO 高島 宗一郎氏 福岡市長 森川 亮氏 LINE株式会社 代表取締役社長 堀 義人( モデレーター ) グロービス経営大学院 学長 グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー
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